九州豪遊の旅2002(part5)



5日目(3月3日)


1.日豊線の特急の旅2

 朝は、8時20分頃に宮崎駅に到着した。時間があるので、まずみどりの窓口にいき、指定の変更を行った。ちょうど良い時間になり、すぐホームへ行くと、すでにハイパーサルーンの「にちりん」は停車していた。乗りこむとグリーン車は、5人ほどいた。8時半、定刻に発車した。

やはり、110キロが最高であった。宮崎をでて、しばらくすると、海側にシーガイアが見えた。かなり目立っていた。しかし、佐土原に来ると、それは、見えなくなっていた。佐土原の駅舎にある1番線のホームは、なんと電化されていなかった。これには、驚いたが、佐土原行きが、すべてディーゼルカーである理由も、これで分かった。またもう一つの驚きがあった。それは、車内販売が来たときに、飲料サービスがなかった事だ。まさかなくなったとは、思いたくなかったが、そんな言葉遣いであった。仕方なく、朝飯代わりに、駅弁を頼むと、お茶をサービスしてくれた。ひょっとすると、車内販売に言えば、飲料は無料でもらえたのではないかと、大分で乗りかえるときにそう思った。

宗太郎駅で、レッドエクスプレスの「にちりん」に出会った。グリーン車は、乗降客に変化がなく、快適であった。しかし、つばめ型よりは劣る事も何度も乗ってみて良く分かった。11時28分、大分に到着した。ここから、ソニックの旅となる。

次に乗るのは、883系の本当の「ソニック」である。ソニックが入線しようとしたとき、「ハイパーサルーンのにちりん」は、すぐに発車した。883系ソニックが入線しても、乗る人が少ないようだ。15分間隔でこれが最後だから、空いているのが当たり前なのか…。でも7両編成と言うのが、ちょっと多すぎるのでは?5両を想像していたが、これは、自由席も快適に過ごせるであろう。グリーン車は、杵築までの1組の客しか乗らず、そこを過ぎたら、もはや貸し切り状態であった。

11時43分、発車した。やはり、このソニックのほうが良い。ミッキーマウスのような耳をデザインしたヘッドレストや、電動リクライニング、それに、運転台が見え、そして、前面展望が楽しめるパノラマキャビンがある、この883系「ソニック」の方が、885系の白いソニックより軍配が上がる。やはり「ソニック」は、883系に限ると、この時に思った。

あっという間に、時速120キロを超え、カーブに入っていくと、やはり振り子である、フッと沈んでいく感じがする。これが、パノラマキャビンにいると、一発で分かるから、面白い。大分〜別府間も、カーブが多く、MAXの130キロは、出なかった。別府に着いた。しかし、グリーン車には、誰も乗らなかった。別府を出て、飲料サービスがあった。ここで、ついでに「ソニック弁当」を頼んだが、すでになくなっていた。残念無念であった。どうやら、積み込まなかった事が伺える。

亀川、杵築のあたりにくると、海を離れて、山間部に突入した。ここがメインで振り子をフルに使っている感じであった。速度を見ると、80キロ以下に落とす事がなかった。山間部を超えた、宇佐から、やっと時速130キロが出るようになった。ここからは、かなり飛ばした。すごく速く感じた。132キロという数字がみえた。オーバーしているが、そんなに変わらないのだろう。

13時10分、小倉に到着した。ここから短距離で乗る、グリーン車の乗客はいなかった。これで完全に貸し切り状態となった。しかも、ここから先頭車両になるため、ずっと、パノラマキャビンにいた。やはり鹿児島本線に入ると、130キロが常に出ていたが、遅い所もあった。折尾で連れと別れ、いよいよ孤独な旅となった。しかし、誰にも邪魔されない環境が良かった。終点近くの香椎駅まで、ずっと前面展望で過ごしていた。13時59分、博多についた。これで、本当のソニックの旅は、終わった。もう一度乗りたい気分であったが、まだソニックの場合は、いつでも乗れるので、次回に回すとしよう。


2.「つばめ」に乗って鹿児島本線往復

 すぐに「つばめ」が停車しているホームへ急いだ。そして、グリーン車に入ると…。なんと、団体客がほとんど占めていた。グリーン車で観光とは、よほどリッチな会社に違いない。よく見ると、全部が団体客で、一般客は、自分1人であった。このときに、もう1席確保しておけば、この団体客は乗れなかったのに…と大後悔をしてしまった。しかも酒のにおいがひどく、最低なグリーン車であった。豪遊券だから、文句は言えないが、普通に買っていたら、間違いなく、文句を言いまくるであろう。正直、うんざりとしてしまった。

客室乗務員が改札とサービスにやってきた。そのとき、見覚えのある顔であった。なんと、1日の日に乗った、「つばめ」で、ワゴンサービスをしていた人だった。あのとき、ビュッフェで会話して良かったとホッとした。あとで、この乗務員に聞くと、やはり自分以外は、全て団体である事を教えてくれた。

座席に座り、とりあえず、ビュッフェに避難したほうが良いか、と考えていたが、熊本を過ぎてからのほうが、空いていると思い、我慢して、車窓を眺めていた。久留米、大牟田と過ぎ、団体客も静かになった。おかげでゆっくりと落ち着いて車窓を眺める事が出来た。このとき、一人席のCを確保しておいて、良かったと思った。もし、2人席だと、災厄であった。

熊本に着き、下車客を確認すると、結構降りていくのが見えた。そろそろかと思い、熊本を発車して、八代に近づいたあたりで、ビュッフェへと避難した。ビュッフェは、誰もいなかった。予想があたった。これで落ち着いて過ごせると思った。ビュッフェで応対した乗務員にも見覚えがあった。はじめは分からなかったが、1日に出会っていた乗務員の人だった。3人乗っていたが、もう1人は、別の人だった。2人とも同じのに出会えるとは、今までは、なかった事だった。こうなると、自分も向こうも安心して、話し合う事が出来た。連れの事を聞いたときも、やはりしっかりと覚えているんだ、と思った。もちろん、今日から孤独旅と言うことを伝え、団体客の愚痴を言ってしまった。このとき、どこまで乗るのかを聞けばよかったが、そこまで聞こうとしたが、グリーン車担当の乗務員は、行ってしまい、あまり会話が出来なかった。その代わり、もう1人知っていた乗務員の人と、ずっと話しこんでいた。

有明海などがみえ、いろいろと教えてもらった。また、夕日がきれいである事もこの時に教えてもらったが、今日は、天気が悪く、夕日は見えなかった。特に、阿久根から川内までの海が見える区間の夕日が最高であると教えてもらった。

八代から、頻繁に見えていた、九州新幹線の工事現場だが、出来ている所は、しっかりと出来ていた。しかし、全く出来ていない所もあったが、2年前には、ほとんど新幹線の工事がなかったのが、こんなに出来ていると言う事は、急ピッチで進んでいる事だと言う事が分かった。

ここで、ビュッフェの新メニューを全て制覇した。座席に戻る前に、鹿児島の人であることを教えてもらってから、鹿児島に来たと言う証拠の品となる、みやげ物について、いろいろと教えてもらった。そして、川内を過ぎてから、もう団体客はいないだろうと見越して、グリーン車に戻った。指定席などもかなり乗客が減っていた。

グリーン車に戻ると、誰もいなかった。これは、すごくホッとした。乗客がいたのは、トップキャビンにいた、フルムーン風の客しかいなかった。これは、ラッキーであった。川内か、阿久根か、出水かその辺りで降りたのであろう。誰もいないため、のんびりと車窓を眺める事が出来た。

これほど、つばめで全くグリーン車にいないのは、久しぶりであった。17時54分、西鹿児島に到着した。乗車時間のほぼ半分をビュッフェで過ごすという、今までになかった経験であったが、客室乗務員からいろいろな情報をもらい、かなり役に立った。最後にお別れの挨拶をして、ホームに下りた。

いよいよ、最後のつばめ型の旅となる。その前に、時間があるために、みやげ物を買うことにした。そして、18時15分頃に、ホームへ行った。しばらくしてから、787系が入線してきた。その隣のホームには、国鉄色をした455系が停まっていたので、つばめ型とセットで写真におさめた。一昔前の急行と最新鋭の特急。良い組み合わせだと自分で感動しながら、車内へ入った。グリーン車は、たった2人しかいなかった。

18時25分、最後の「つばめ」の旅が始まった。まずは、ビュッフェ前に腹ごしらえを考え、つばめ弁当を頼んだ。やっと念願を手に入れる事が出来た。今回は最後と言う事で、いろいろなサービスを受けようと考えた。

まずは、飲料のおかわりをした。それから、イヤホンサービスを速攻で、もらう事にした。改札のとき、印鑑を見ると、博多区であった。最後は、博多の人かと思いながら、もう見る事の出来ない景色を眺めていた。なんせ、来年末には、新幹線が出来て、この路線は、通る事がないのだから…。

真っ暗な海を眺めながら、今までの九州の旅を振り返っていた。いろいろな出会いがあったし、さまざまな風景に出会えた。遅れという最悪な事態もあった…。そう考えていると、八代に到着していた。鹿児島からここまでは、新幹線の路線になるんだ、思った。

八代を出てから、最後のビュッフェ訪問に行った。一人しかいなかった。ここで、最後の締めは、ワインだと思い、つばめワインを頼んだ。やはり流れ行く景色に似合う飲み物だと思った。八代からは、スピードがかなり速くなり、ゆれが激しかった。

21時、熊本に到着。ここで、一気に喧騒の渦となった。大量の乗客が乗り込んできた。しかも、自由席には、座れず、ビュッフェにまで乗り込んできたのだ。一気に現実に引き戻されてしまった…。これでは、良い気分にはなれず、大牟田の手前で、自席に戻ることにした。どうやら、席がないため、指定席への変更に車掌も忙しそうであった。グリーン車は、数人しか増えていなかった。グリーン車なら余席がたくさんあるのに…と思っていたが、やはり値段が高いのか誰も来る事はなかった。しばらくしてから、キャンディーのサービスがあった。かなりもらってしまった。22時22分、とうとう博多に到着した。「つばめ」の旅がこれで終わったのである。相当ショックな感じを受け、乗務員に本当に最後の挨拶をした。


3.最後の豪遊券の特急

 22時半頃に、グリーン豪遊券で乗る最後の特急「ドリームにちりん」が到着した。783系のハイパーサルーンである。今回乗る回数が多いのは、783系のような感じがしてならないのだが…。グリーン車は、1人席が全て埋まった。やはり夜行は、一人席が人気あるようだ。座席に座るが、やはりつばめ型よりは、シートは劣る。まあ、某本州のJR会社の物と比べれば、783系のグリーン車のほうがすばらしいのだが…。

22時50分、「ドリームにちりん」宮崎空港行きは発車した。小倉までは、放送が流れるため、起きている事にした。23時47分、小倉に到着した。ここで、グリーン車に乗りこむかと思ったが、誰も乗りこまなかった。23時50分、今度は、グリーン車が先頭になって発車した。ここで、放送が打ち切りとなり、寝る体制にはいるのだが、783系の場合は、減光はされないのか、ここでも、暗くなる事はなかった。せめて、つばめ型のように、減光してくれれば良いのに…とこのときは、本気で思ってしまった。

大分でグリーン車の客が一人降りていった。それを確認すると、今度は、記憶がなくなっていた。どうやら眠ってしまったみたいだった。朝5時を過ぎ、延岡駅の近くで、放送が始まり、目が覚めた。自由席の乗り場には、列があった。朝から結構な賑わいである。たぶん、宮崎空港からの空の旅が大半であろう。6時45分、宮崎に到着した。ここで、日南線の志布志行きに乗り換えかと案内が入ると思ったが、南宮崎で乗り換えてくださいと案内が…駅に着いてなるほどと思った。






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